再びこの町、この時代で生きられるようになってすぐ、食材の買い出しは私の仕事になった。
シロウなどは別にそんなことしなくとも構わないと言ってくれるが、それでは私の気が済まない。魔術の基本である等価交換ではないが、ただ世話になりっぱなしというのは私の誇りが許さない。
おかげでいまではすっかり常連となった店も何軒かある。色々とおまけしてくれるところさえあるぐらいだ。
もっとも、この仕事は私一人のものというわけではない。ライダーが一緒の時もあるし、休日にはシロウやサクラも一緒だったりする。そして今日も一人ではない。
今夜の食材が入ったビニール袋を手に持ちながら、私は目の前を歩く男の背中をぼんやりと眺めていた。
それにしても。
こうして平和な日常というものの中にいると、時折自分がいかに異常な存在であるかと考えてしまう。
かつて岩に突き刺さった剣を抜いたその日から王としての道を歩き始めた私。その決断に後悔はないし、自分に出きる限りのことをやってきたと自負してもいる。それでも一度抱いてしまった、選ばれたのが自分で本当に正しかったのかという疑問はずっと私を責め続けていた。
それが間違いだと教えてくれたのは、他でもない、私がもっとも愛しいと思う少年。彼と共に歩むことが出来たからこそ、私は聖杯を破壊することを自分自身の意志で決断することが出来た。
だが、そのシロウはもういない。
いま私がこの身と剣を捧げる衛宮士郎は間桐桜を選んだ。
この私を―――アルトリアという少女を選んでくれた衛宮士郎は、もういない。
Fate/stay night another story.
いっぽ、いっぽ。
「どうしたアルトリア。少し疲れたか」
「……いえ。この程度のことで疲れるなどあり得ません」
いつの間にか足が止まっていたようだ。そのことに気がついた男が振り返り声をかけてきたが、私は素っ気ない答えしか返すことが出来なかった。けれど男には気にした様子もなく、私の側まで戻ってくると提げていたビニール袋を取り上げる。
すでに自身、一杯になった袋を両手に持っているというのに。
「なっ……大丈夫です、ちゃんと持てます」
「いや、いまの君は心ここにあらずといった様子だったからな。手が滑って落とされたらかなわない」
皮肉めいた物言いに、思わず眉間に皺を寄せてしまう。それこそ男にとって気にしたものではないようで、軽々とビニール袋を抱え上げてすたすたと歩き出す。
「ま、待ちなさい、アーチャー!」
「早くしないとみんな帰ってきてしまうぞ」
それを言われてはぐぅの音も出ない。伸ばしかけた手を戻し、憮然としながらもその後に続く。
しばらくそうして無言のまま商店街を歩いていたが、不意にアーチャーの足が止まった。不思議に思って顔を上げると、そこはこの商店街でも老舗の和菓子屋の前だった。ここのどら焼きは絶品であり、衛宮家でお茶請けに出される和菓子というとこれ以外には考えられないほどだ。もちろん私のお気に入りでもある。
「ちょっと番をしていてくれ」
「アーチャー?」
ビニール袋をアスファルトの上に置くと、アーチャーは私の声にもかまわず店内に入っていく。慌ててそれを追いかけようとしたところで、置かれた三つの袋の存在を思い出し駆け出そうとした足が止まる。どうしたものかと思案しているうちにアーチャーが戻ってきた。
「いったいどうしたというのです?」
私の質問には答えず、アーチャーは手に持った小さな包みを差し出してきた。一瞬面食らってしまったが、中に何が入っているのかは開けなくとも分かる。何度か見たこともあるし、何より作りたてなのか、ほのかに餡の甘い香りが漂っている。
けれど、アーチャーはこれを私にどうしろと?
「どうした、いらないのか?」
「あ、いえ、いただきます」
その言葉に背中を押されたように、私はアーチャーの手から包みを受け取った。けれどやはり腑に落ちなくて、両手で包みを持ったまま立ち尽くしていたけれども、ビニール袋を抱え上げ歩き出そうとしたアーチャーが、振り返りこちらを見ているのに気がついた。
「どうひふぁ? はるふぉりは?」
「ぷっ……」
けれども、なんだってどら焼きを頬張りながらなのか。
不意を突かれて私は笑いをこらえることができず、お腹を抱えて笑う羽目になった。アーチャーはむっと憮然とした表情になるが、こればかりはしょうがない。だってあまりにも普段の彼とのギャップが大きすぎるのだ。
そう、それはまるでシロウを見ているようで―――
「あ…………」
今度はいきなり黙り込んでしまった私にアーチャーは首を傾げるが、私はそんな彼に何も言うことが出来ない。何も言葉が見つからない。
このままでは間が保たなくなると悟り、少々行儀は悪いと承知しつつ私は包みを開けてどら焼きを頬張った。
けれど、せっかくの作りたてのどら焼きの味も、さっぱり分からなかった。
商店街の外れにある公園。そこに通りかかったところで、不意にアーチャーが足を止めた。
「―――ちょっと休憩していくか」
「え?」
驚く私などお構いなしに、アーチャーはさっさと公園の中に入っていく。仕方なしにその後を追いかけ、彼と並んでベンチに腰掛ける。
公園と言ってもそう広いものではない。滑り台や鉄棒などの遊具が、雑多に据え付けられているぐらいで、子供たちが走り回るのにも少々不自由しそうなほどだ。
けれどそこで遊ぶべき子供たちの姿は見当たらない。時間が少しずれているのも確かだが、こういったところで遊ぶ子供が少なくなったんだと、シロウが少し悲しそうに呟いていたのを聞いたことがある。
「―――みんな帰ってきてしまいますよ?」
「そうだな」
私の呼びかけに答えたアーチャーの声は、どこかか細く頼りないものだった。いつも不敵に笑い、悠然と構えている彼の姿ばかり見ているから、それはとても意外だった。けれどどこかで納得している自分もいる。
ああ、この人はやはり「衛宮士郎」なんだ、と―――。
「聖杯戦争の時、ここで何度かイリヤと話したことがある」
やがて、ぽつりとアーチャーが呟く。それは私に聞かせるというよりも、ついこぼれ落ちてしまったというようで、事実その横顔からは私に聞こえているかどうかなど関係ないように思えた。
「もちろん、いまここにいるイリヤがここで衛宮士郎と会話を交わしたかどうかは分からない。そりゃそうだ、衛宮士郎とろくに交流なんかしないで、ギルガメッシュに殺される歴史だってあったんだから」
その内容とは裏腹に、アーチャーの言葉は淡々としている。記録としては知っていても、記憶にはない。そんな、誰かの書いた本を読んだような感覚でしかないのだから、当然だ。
だというのに、
「でも、あのときにそんなことが知られてたら、きっと君は猛烈に怒ってたんだろうな。イリヤが一緒に住むって決めたときにも、あれだけ怒ってたんだから」
どうして私にも憶えのあることを話すとき、貴方はそんなにも懐かしそうに、実感を込めて話せるのですか。
貴方がそんなだから、私はいつも誰と話しているのか分からなくなってしまう。シロウと話しているのか、アーチャーと話しているのか、そのどちらでもない別人となのか。
人形という仮初めの肉体を得て半年。今の彼はアーチャーと呼ばれるサーヴァントであった頃よりも幾分幼い外見をしており、衛宮士郎という少年よりも落ち着いた雰囲気を漂わせている。
だがその白い髪と浅黒い肌はサーヴァントの頃と変わらず、その顔に浮かべる笑みは少年のようにあどけない。
何より、彼だけは私をアルトリアと呼ぶ。そして私と話すときだけ、少年のような砕けた口調になる。それが私の心を乱してやまない―――。
「―――まさか、こうして英霊としてではなく、またアルトリアと会えるなんて思ってもみなかった」
「…………」
「俺はこの歴史の流れに生きることができることを嬉しく思う。無限の平行世界に存在する『英霊エミヤ』の中で、間違いなくいちばんの幸福者だろうしな」
隣に座る彼の顔を横目で見る。そこには憂いも翳りもなく、渠が口にしたことが紛れもない本心であることがうかがえる。
「だけどアルトリア、君は今ここに存在ることを後悔しているのかい?」
そんなことはない。
そう咄嗟に答えようとして、できなかった。
後悔などするはずがない。シロウの剣として、盾として、彼の隣に立って彼を守る。それだけを願い、そしてそれは叶ったのだから。
しかし、ならばこの胸に残るわだかまりはいったい何だというのか。
「無理しなくていい。もう君はセイバーじゃない、アルトリアという一人の女の子なんだから」
「いえ。シロウにとって私はセイバー以外の何者でもありません。それが答えです」
それは酷く不安定な、自分自身すら騙せない嘘だと自覚している。けれどその嘘が今の私の拠り所でもある。
「……そうか」
そんな私に色々と言いたいこともあるのだろうが、アーチャーはそれだけ言ってベンチから立ち上がる。
「そろそろ帰るか。あまり遅くなると、凛あたりがうるさいだろうからな」
「ええ」
私もビニール袋を手に立ち上がり、彼の後に続く。
その背中は広く、戦う者の厳しさを備えていて。
それでいて酷く優しくて、そこに少年の姿を重ね合わせてしまう。
「……ごめんなさい」
私が『衛宮士郎』と認めるのは、間桐桜を愛したあの少年であると自分で言っているのに、貴方の中に私は『衛宮士郎』を見てしまう。
私が漏らした呟きが聞こえなかったとは思えないが、アーチャーは僅かに足を止めただけで家路を歩き続けている。
「ゆっくり行けばいいさ」
空を見上げながら、アーチャーは言う。
「一歩一歩、ゆっくりと。せっかくチャンスをもらったんだ。生き急ぐことはない―――俺も、君も」
その言葉に込められた思いは、いかほどのものなのだろうか。
その思いにいつか応えることができるのでしょうか。
その思いに私は応えても良いのでしょうか。
その答えが出るのは果たしていつのことか。
けれど、焦らずゆっくりと行こう。時間はたっぷりとあるのだから。