赤紫
傷ついた衛宮士郎を担いだセイバーの姿はすでにない。
だが、先程から剣舞を繰り広げている赤と紫の戦士の意識には、すでにそのような些細な事実など微塵も残ってはいない。
五尺はあろうかという桁外れの長刀を、まるで何事もないかのように扱う美貌の剣士、アサシン。それはもちろん当人の血の滲むような修練の果てに辿り着いた極致ではあろうが、それでもやはり天賦の才というものがなければ、有り得ない美であろう。
しかしそれに相対する赤い外套の騎士の剣には、華麗さの欠片もなかった。ただ愚直なまでに、両手に握る刃を振るい続ける。だがその無骨な剣戟は、美剣士の華麗な舞を見事防ぎきっている。
才能などない、だがそれでもひたすらに己を鍛え続けた末に辿り着いた、それもまた一つの極致。だからこそ、それは愚直でありながら、無骨でありながら、それでも尚美しかった。
すでに幾度刃が打ち交わされたのか。もはや数えることなど不可能な域に入ったところで、ようやく二人は後方に飛び、石段の両端に着地したところでその動きを止めた。
「――どうやら先程の非礼を詫びねばならぬようだな。正直驚いたぞ。剣の精霊でもないというのに、我が剣にここまでついてこれるとはな」
片目を開け、不適に嗤う。月光を浴びるその姿はこの世に有り得ないほどに美しく、嫌でもその存在の不安定さを露わにする。
「オレの方も、少々認識が甘かったようだ。双剣のオレならば、セイバーよりも貴様への相性は良いだろうと思ったのだが」
「ふ―――よもや貴様、二天を気取るつもりであったか」
かんらかんらと、美剣士が笑う。それはこれまでの彼からは考えられぬ所作ではあったが、何処か気持ちのよい姿でもあった。ここにいるのがセイバーなり、ランサーであったならば、おそらく彼に対して好感を持ったのではないだろうか。
「五輪など知らぬ身には分不相応だとは思っていたがな。もしかすると、などと甘い期待を抱くものではないと思い知ったよ」
赤い騎士には何の感慨も抱かせなかったようだ。
「さて……二天を気取るのであれば、この秘剣。見事かわしてみせよ」
空気が凍る。
いつの間に近づいていたのか、アサシンは石段の中央にまでにじり寄っていた。立つ段の高さは同じ、アーチャーとの間合いもまた、まさしく彼の絶対の領域。
「―――参る」
刹那。
肩口の高さにあった長刀が翻る。
縦。
斜。
横。
三方からの斬撃が、まったくの同時にアーチャーに襲いかかる。
燕を切る戯れがこれを会得させたと彼は言うが、果たしてそこに辿り着くまでにどれだけの苦闘があったことか。ただひたすらに己が業を宝具の域にまで昇華させた、一つの奇跡が其処には在った。
それを迎え撃つ白と黒の夫婦剣。
縦。
斜。
だが、横から迫る一閃に、対処する術がない。
(所詮、ここまでか――)
いささか興ざめではあるが、致し方あるまい。
アサシンはその長刀をアーチャーの首へと伸ばし――
虚空より現れた長刀に受け止められた。
「なっ!?」
完全に殺ったと思っていただけに、アサシンの驚きは少なくない。そこに生まれた一瞬の隙をつき、アーチャーは夫婦剣を両の肩口に向けて振り下ろす。
鋼と鋼がぶつかる甲高い音が響く。次の瞬間、石段の両端に再び二人の姿があった。
「貴様、どのような絡繰りを使った……?」
「――さあな」
アサシンの顔に、初めて焦りの色が浮かぶ。
先程の攻防。あまりにも不自然だった。いや、あのような攻防があり得るはずがない。
確かに目の前の騎士は己の秘剣を二撃目までを防いだ。だが剣が二振りしかない以上、腕が二本しかない以上、三撃目を防ぐことなど出来ぬはず。なればこその必殺、秘剣の筈だ。
だが目の前の騎士は現に三撃目を防ぎきった。そして、三撃目を防いだのは何あろう、己の長刀に相違ない。
「何故に貴様が我が刀を所有する? よもや後の世に、我が刀が貴様の手に渡っていたとでも言うのか」
考えられるのはその辺りか。
だが無名の、仕官すら果たせなかった一剣士に過ぎない己の刀など、後世に伝わろう筈もないであろうに。
「安心しろ。これは紛れもない偽物(フェイク)だ。もっとも、偽物が本物に劣る道理はないがな」
アサシンの焦りを見て取ったか、アーチャーの顔色に余裕の色が浮かぶ。まだまだ勝利を確信するまでには至っていないが。
「さて、貴様の秘剣を見せてもらった礼ではないが、こちらもそろそろ本気でいかせてもらおう」
アーチャーの四肢に、力が漲る。迎え撃つアサシンもまた、長刀を構えその一挙手一投足を見逃すまいと神経を研ぎ澄ます。
瞬き一つ許されぬ、ぴんと張りつめた空気。それは冬の夜の寒さも相まってか、痛みを感じかねないほどに鋭いものだった。
そして、
空をゆく雲が、
月を隠す。
「――――I am the bone of my sword(我が骨子は捻じれ狂う)」
瞬間。
アーチャーの周囲に無数の矢が、剣が、刀が、槍が、彼を取り囲むように顕現する。
「貴様!?」
目の前の異様な光景に、アサシンの余裕は今度こそ消し飛んだ。あれだけの数の武器が一斉に襲いかかってきたならば、果たして捌ききれるのか。
「この山門の番人を務めるのであれば。後学のためにも受けてみるがいい。生き残ることができるならな!」
掲げられたアーチャーの右腕が、アサシンに向かって振り下ろされる。それを合図にして、宙に現れた無数の武器が意志を持つかのように彼へと飛びかかっていく。
「――――!」
なりふりなど構ってはいられない。
己が秘剣を出し惜しみなく振るい、迫り来る無数の刃を次から次に叩き落としていく。
その刃の一つ一つの威力は、先程までのアーチャーの打ち込みには遠く及ばない。だが数が数だ。この圧倒的な物量は、それだけで驚異的な戦力差となる。
右。
左。
上。
前。
後。
全方位あらゆるところから刃はアサシンめがけ降り注ぐ。しかしアサシンもセイバーにその剣技で互角以上に渡り合っただけのことはある。その絶望的な刃の雨を、いまだ一つとしてその身に届かせてはいない。
「ぬううううううッ!」
「はああああああッ!」
猛る声が、闇夜の山中に溶けていく。
時間にして、どれほどのものであったのだろうか。再び顔を覗かせた月の光が石段を照らし出したとき、その両端には月が隠れる前と同じように二人の男が立っていた。
「驚くと言うより呆れたぞ。それだけの長刀を扱いながら、制空権の中には一本も通さないか」
「そちらこそ。弓兵と名乗りながら、その実は妖術士とはな。笑わせてくれる」
互いに浮かべるのは笑み。それは凄惨で、酷く荒々しく、それでいて穏やかだった。
再びアサシンが長刀を肩口の高さに構える。
月光を照らし、妖しく光るその刃。しかしそれはあくまで清廉であり、微かな淀みもない存在。
その矛盾は、彼そのものを写し取ったからであろうか。
「その首、趣にかけるとは我が短慮であった。一剣士として、その首改めて貰い受ける」
ただ一歩の踏み込み。しかしそれは美剣士の領域へと標的を捉える、決定的な差。
だが――――
「小次郎、敗れたり!」
「―――なっ!?」
それは、他の誰にとってもただの戯れ言。
なんの意味もない、ただの言葉。
しかし。
目の前の一人の侍には。
その真実の名前がなんであれ、「佐々木小次郎」として現世に呼び出された存在である限り、そう信じられて生まれてきた限り、それは他のどんな魔術よりも強く彼を縛り付ける言霊となる。
神速を誇る侍の太刀筋よりも尚早く。
赤い騎士の腕が一閃する。
その手に持つは削りだしたままの無骨な木刀。
振るうは、名の知れた剣豪が全てをかけて体得したとされる極致の業。
再び月が雲に隠れたとき、二人は互いの位置を入れ替えて、石段の両端に立ち尽くしていた。
「そうか。二天を気取るのであれば、その言葉。知っていて当然か」
振り返ぬままに語る美剣士の額から、一筋の血が流れ落ちる。
両の瞳の間を抜け、整った鼻に沿って流れ落ち、そして石段を汚す前に霞と消える。
ただ、それだけ。
「最後のとっておきだったのだがな。少なくとも、私の用意した偽物は本物に劣っていたということか」
そう呟いた赤い騎士の手の中で木刀が砕け散る。
佐々木小次郎の最後の勝負において、相手が用いたとされる船の櫂を削って作った一振りの木刀。しかし剣を複製することにかけては並ぶものがないこのまだ見ぬ英雄にしても、そのようなものを用意することは出来なかった。
「……じき、夜が明ける。口惜しいがこの勝負、痛み分けといったところか」
「いいのか? 生きて帰す気はないのだろう、門番としては」
背を向けたまま、侍の背に騎士は声をかける。その背にはもはや、殺気など微塵もない。浮かんでいるのは、ただ強い相手と死合えたことに対する満足感のみ。
それは騎士にとって理解できぬ感情であった。あるのは魔力も尽き、自身の技も全て防がれた今、この機を逃しては無事に帰ることは出来ぬだろうという確信めいた予感。
だから、二人の漢は石段を歩き始めた。一人は上へ、一人は下へ。
「今一度、見えることがあれば。そのときはその首貰い受ける」
「オレは武士道も騎士道も知らぬ。だが次があるのならば、確実に殺す」
それは再会の約束なのか。それとも、そのときまで死ぬなという激励じみたものであったのか。
当人たちすら知り得ぬその言葉は、一際強く吹き抜けた風に乗って何処へかと消えていく。
気がつけば、そこにはすでに誰の姿も残されてはいなかった。
<あとがき>
なんか、猛烈に書きたくなったので凛ルートでのアーチャーVSアサシンを。
実はセイバールートで密かに期待してたんですよね、二刀流で立ち向かうも追い込まれるアーチャー。絶体絶命のそのとき、ギリギリで駆けつけた凛の「小次郎、敗れたり!」の叫びで大逆転っていう展開を。
まあ実際、そんな展開はまったくもって、微塵もなかったわけですが(笑)。
しっかし、信じられて生まれた限り、その束縛から逃れられないってあたりは、明らかに妖魔夜行が入ってますね。大好きだったんですよ、一応コンプRPGにも投稿してましたし(苦笑)。