かなみが通う牧場では、10時と3時にお茶の時間がある。
水分補給と休憩を兼ねたこの休み時間には、毎日とぼしい物資の中から、趣向を凝らしたおやつ
が出される事もあり、牧場で働く人たちの数少ない楽しみの一つになっていた。
ときは3月某日ーー。
「今日はひな祭りだからね!」
そう言って、給仕をするおばさんが手渡してくれた湯飲みの中には、いつも出されるお茶とは違
う、見知らぬ白い液体が並々と注がれていた。
一見牛乳のようにも見えるその液体からは、しかし、牛乳とは明らかに違う、甘ったるい香りが
漂っている。
「何だコリャ?」
その日、めずらしく牧場に顔を出していたカズマが、いち早く受け取った湯飲みを睨み、クンク
ンと胡散臭げに鼻を利かせる。
その隣では、かなみが湯気を立てる謎の液体に、恐る恐る口を付け、とたんに……。
「甘い!」
口いっぱいに広がったやさしい甘さに、かなみは嬉しそうに口元をほころばせて、湯飲みの中身
をほとんど一気に飲み干してしまった。
「おいしい!」
空になった茶わんを手に、満面の笑みを浮かべる少女に対し、彼女とは違って、液体の甘さに一
口で閉口したカズマは、
「かなみ、オレのもやるわ」
これ幸いとばかりに、自分の分の湯飲みを押し付けたのだった。
「エッ?! いいの、カズくん?」
一応は遠慮するそぶりを見せたものの、くだんの液体の味がよほど気に入ったらしく、かなみは
受け取った茶わんの中身を、これまたほ一気に飲み干してしまった。
「あらまぁ! かなみちゃんいい飲みっぷりだねぇ〜」
その様子を見た牧場の人たちが、見事な飲みっぷりに感嘆の声を上げる。
「かなみちゃん。気に入ったなら、おじさんの分も上げるよ!」
カズマと同じく液体が口に合わなかったらしいオジサンが、そう言って湯飲みを差し出したのを
皮切りに、
「オレのもやるぞ!」
その場に居たほぼすべての男性陣が、かなみの前に湯飲みを差し出してきた。
彼らの心境としては、苦手な飲み物を片づけたいの半分、少女のよろこぶ顔をみたいの半分と
いったところだろうかーー。
「アラアラ、かなみちゃんモテモテだねぇ〜」
「はぁ……」
テーブルの上に並んだいくつもの湯飲みを前に、さすがに恐縮するかなみだが、遠慮しつつも差
し出されたそれをちゃっかり口にしているあたり……。
「かなみちゃんは、すっかり甘酒が気に入ったみたいだねぇ〜」
彼女の飲みっぷりの良さに、当の液体……甘酒を作ってきたおばさんが、大層うれしそうに言っ
た。
「そんなに好きなら、まだ残ってるから、おかわり注いであげようか?」
「でも……」
「子どもが遠慮するもんじゃないよ!」
「そうそう、さぁ、飲んで飲んで!」
周りの大人全員に勧められ、「それじゃあ」と空になった湯飲みを差し出すかなみ。
そうしてーー。
3時の休憩時間が終わる頃には、彼女はすっかりでき上がってしまったのだった……
(汗)
「きゃはははは〜!」
意味も無く笑い声を上げ続けるかなみを前に、
「ちょっと……飲ませすぎちゃったかねぇ〜」
彼女に甘酒を勧めた牧場の面々は、互いにバツ悪そうな笑みを浮かべてそうつぶやいた。
「…………」
彼女の豹変ぶりに、ただただぼう然とするだけのカズマに向かって、その内の一人が言った。
「アンタ、今日はもういいからーー。かなみちゃん連れてお帰り!」
困惑する青年をよそに、そう命じたおばさんは、手早くかなみの体を抱き上げると、
「ほら、落とすんじゃないよ!」
そう言って、カズマの背に小さな体を預け、彼をその場から追い立ててしまった。
◇◇◇
「見て見てカズくん! ツバメが飛んでるよ!」
「そりゃあこの時期になりゃ、ツバメくらい飛んでるだろうよ」
そんな事はいいから、しっかり掴まってろーー。
カズマは嘆息まじりにそう言って、診療所へと続く1本道を、酔っぱらったかなみを背負い歩き
続けた。
しかし、アルコールで上機嫌になった少女は、彼の注意などまったく聞かず、背中から落ちそう
になるのも構わずに、キョロキョロとあたりを見回しては、やれフキノトウの花が咲いているとやら、路肩にツクシが顔を出しているとやら、いちいち報告して
くる。
「かなみ、手ェ放すと落ちるぞ!」
「平気平気……きゃあ!」
「そら見ろ」
言った先から、危うく転げ落ちそうになった小さな体を背負い直し、カズマは再びため息をつい
た。
『……ったく、ジジババ共め! 調子に乗って飲ませやがって』
彼らに悪気は無かったのだろうが、少女にやたらと馴れ馴れしくしていたことも相まって、いま
いましげに舌打ちする。
「カズくん、カズくん!」
「今度は何だよ?」
不機嫌そうに聞き返したカズマの髪を、再び騒ぎだしたかなみが思いっきり引っぱった。
「イテテ! かなみ止せ……」
悲鳴を上げ、注意しようとした矢先ーー。
「カズくん、お花見に行こう!」
少女は唐突に言って、帰り道とは逆方向にある、小高い山のてっぺんを指さすのだった。
「あのなぁ〜」
「ねっ、行こう!」
「花なんかまだ咲いてねぇよ」
「咲いてるもん!」
つね日頃の聞き分けの良さはどこへやら……。
背中の上で盛大に駄々をこねる少女に、カズマは宥めたりすかしたり、あらん限りの手を試して
はみたものの、結局最後は根負けして、
「……分かった。行くよ、行けばいいんだろ!」
ヤケクソ気味にそう叫ぶなり、彼は来た道を猛然と戻りはじめたのだった。
◇◇◇
冬枯れた下草を踏み分けて、急な坂道を登り続けること数十分ーー。
不意に開けた視界いっぱいに広がったあざやかな色彩に、カズマは思わず息を飲んだ。
『桃源郷』という言葉がピッタリの、満開の桃畑を前に、彼はしばらくの間、言葉も無くその場
に立ち尽くした。
「スゲー」
これなら、かなみが見たがるのも頷けるぜ……。
そう思ったところで、ようやく背中の少女の存在を思い出し、あわてて声を掛ける。
「かなみ、着いたぞ!」
しかし、どうしたことか、かなみの方からは何の返事も返ってこない。
「……おい、かなみ?」
怪訝に思って振り返ってみると、彼女はいつの間にやら眠ってしまっていた。
『……どうりで、しばらく前から静かだと思ったら』
自分の肩口に頬を預け、すやすやと寝息を立てるその姿に、カズマは小さく苦笑して、ズリ落ち
そうになった小さな体を、起さないようそっと背負い直した。
「……さてと」
ーーこれからどうしたものか?
次第に西へと傾きつつある、お日さまを仰ぎ見て彼は考えた。
『このまま帰っちまったら、きっと怒るんだろうな〜』
かと言って、寒空の下彼女が目を覚ますのを待っているワケにも行かない。
いくら暖かくなってきたとはいえ、そんな事をしたらかなみが風邪を引いてしまう。
『やっぱ起すか? でもなぁ……』
気持ちよさそうに眠る寝顔を見ると、それもなんだか忍びない。
「う〜ん」
カズマは結局考えた末、手近にあった桃の枝を1本手折り、それを眠るかなみの襟元に差し込んだのだった。
『ーーま、とりあえず来たってコトでな?』
あとで目覚めた少女が、これで納得してくれなかった日には(多分絶対しないだろう)、
仕方ない、花が終わらないうちにもう一度見に連れて来てやろうーー。
「かなみに弁当作らせてな」
満開の桃の花に囲まれて食べる彼女のサンドイッチは、きっといつもより美味いことだろう。
そんなことを考えながら、カズマは眠るかなみを連れて、トコトコと山道を下りはじめた。
(完)
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