月の雫
…のない夜 / トライアングル未満 / 融けた月 / ある日、ある時(コロニー編) / 白い闇の夜 /
霧のサンフランシスコ / 心象風景 / Letter / WASH&WASH / エマとレコア /
ある日、ある時(アーガマ編1) / カミーユの日記 / ある日、ある時(アーガマ編2) /
少年は明日へ向かう / 招かれざる訪問者 / シャワーでシャワー? / 淡く残る香 /
世は全てこともなし / GAME / シミュレーション / シミュレーション 番外編 / 欠けてゆく、心 /
彼女の求めたもの / あなたの為に… / 選びとる、生 / 凍る宇宙 / Message /
遺された云葉 / 彼は夢見る、そして彼女は… / 幸せになりたい / 天使の休息 /
天中の月は夜に融けて… / 仮想現実
※ 再録、総集編本その3。
WASH & WASHカミーユ自身は、およそお洒落などというものとは無縁だと思っていた。服なんて、子供の頃から母のヒルダが買った物を適当に着ていただけで、それについて文句も要望も口にしたことなどなかった。だからといって、それがイコール無頓着であることにはならない―ということを彼は知ることになった。 いけすかないティターンズを殴っただけ―とカミーユは実はまだ密かに思っている―の彼の身の上には、様々なことが起こった。カミーユの居場所も立場も目まぐるしく変わり、また多くの物を失っていた。気がつけば彼は、アーガマという反地球連邦組織の戦艦を自分の身の置き所とするしかなくなっていたのだった。 「……アーガマの中は一応こんな感じね。何か他に訊きたいことはある?」 カミーユの世話係りのような役割を担わされたレコアの問いに、彼はかぶりを振った。 「取り敢えずは…ないです」 すぐに馴染めるものでもなかったし、何が疑問であるのかさえも彼には判断しようがなかった。 「そうね。一度に言われてもわからないわね。…疲れたでしょう、休んでく?」 レコアは食堂へ彼を案内した。ちょうど食事を取るクルーの少ない時間帯なのか、けっこう空席が目立った。 「ほら、あれ…」 レコアが彼の分も取りにいっている間に、席に着いたカミーユの耳にそんな囁きが聞こえてくる。が、彼は聞こえないふりをした。 「はい、コーヒーでいいかしら、煎れ立てみたいだから少しはマシなはずよ」 「どうも…」 お礼を云って、カミーユはコーヒーを啜った。確かに、多少の香りもある。 「それでどうするか、決まった?」 「………」 何をどうか、と訊かれたのかはわかっていた。が、彼はまだ考えも何もまとまってはいなかった。だから沈黙で彼なりに答えたのだが、レコアの方も最初から返答を期待してはいなかったようだ。 「あたし、そろそろ戻らなくちゃ…もう少ししたら部屋に戻ってね。もし用がある時は、あたしの部屋か、連絡がつかなければブリッジの方に連絡してね」 「はい――」 行きかけたレコアはふいに振り返り、付け足した。 「あ、云い忘れてたけど、…制服、似合ってるわよ」 「……そうですか、…ちょうど着る物もなかったから――」 カミーユは瞳をパチクリとし、照れ臭さを隠すようにぶっきらぼうに答えた。その理由は本当だった。彼の着たきりだった服は、蹴飛ばされたり、冷や汗をかいたりと大分汚れていたのだから…。と、同時に彼はあることを思い当たる。 「照れなくてもいいわよ、本当に皮肉じゃない…」 「あ、あの…、レコアさん…」 フォローしてくれているレコアに、彼は違う理由で呼び掛けた。 「――何?」 「えっと……洗濯…って、やっぱり、自分でするん、ですよね?」 恐る恐るカミーユは訊ねた。が、レコアはため息とも口笛ともつかない様子で息を吐いた。 「そうね…。アーガマには雑役兵っていないのよ。ランドリーもあるし、それぐらいは自分でやってもらわなくちゃね」 と、予想通りの答えが返ってきた。そして、カミーユも諦めの息をついたのだった。 「乾いてないや…空調の調子が悪いのかな…」 カミーユは自室に吊るした洗濯物に舌打ちをした。彼は出撃後には必ずシャワーを浴びたし、身体がさっぱりした後にはとても同じ下着をつける気にはなれない質だった。必然、洗い物も増えてしまうというわけだ。ここのところ何やかやと忙しい上に出撃も多く、洗濯物を溜めていた。やっと暇を作って一気に洗ってしまったが、すでに最後の着替えが底をついていたのだった。 (今スクランブルがかかったら、やだなぁ…) 直接肌に触れる物が生乾きだなんて我慢しがたい。しごく個人的な理由でカミーユは出撃したくなかったのだ。が、世の中はそう簡単に彼の思惑通りに動いてくれないものだ。インターフォンが彼の名をがなりたてる。 《いつまで待たせるんだ。Ζの整備、始められないぞ!》 忘れていた…。 「あ…はい、すぐ行きます!」 アストナージの怒鳴り声にカミーユは慌てて作業服を引っつかんだ。出撃しなくても、汗をかくことにはかわりない事態が彼を待っていた。取り敢えず早く渇くことを願って、カミーユは空調の目盛りをドライの最強に合わせて部屋を出た。 「カミーユいるか?」 M・Sデッキでようやっと整備を終えたカミーユの元に、緊張感のない様子でトーレスが訪ねてきた。 「なんだい?」 彼はコクピットから飛び出し、クレーンの上から叫んだ。 「整備がすんだらブライト艦長がブリッジに来てくれってさ」 「すぐか?」 何ごとかと思い、クレーンを降下させながら訊ねた。が、変わらずトーレスはのんびりしたものだ。 「いんや、急ぎなら俺が来やしないよ。ついでで頼まれたんだ…着替えてからでもいいんじゃないのか」 「着替えて――」 カミーユは思いきりいやそうに、眉根を寄せた。 「何かマズイことでもあるのか」 「あ――いや、……いいんだ。了解だ」 云いかけて、やめる。トーレスなら、服が汚れていようが死にゃあしない、とか云いそうだ。アーガマの気の良いオペレーターが実は二、三日―どころか一週間―同じ下着でも頓着しないツワモノであることは、頻繁に訪れる彼の部屋の様子からも知れていた。云ったって、彼の苦労を理解してもらえるとは思えなかった。 (あれぐらいの用事でわざわざ呼びつけないで欲しいよな、まったく…) カミーユが自分の主義を曲げてまで汗を掻いたまま、制服に着替えて行ったというのに、 『この報告書に目を通しておいてくれ』 『………はい』 訊ねていったブライトの用事は本当に大したことではなかった。それこそ、トーレスに一緒に渡してくれれば良かったのだ。が、まがりなりにも軍隊では、そういうわけにはいかないものらしい。 (…アレ?) 「あ、ゴメン…開いてたから」 戻ってきたカミーユを迎えたのは幼馴染みのファ・ユイリィだった。 「何してんだよ」 「ん、ちょっと、ね」 「勝手に人の部屋に入ってくるなよ」 そう口では云ったものの、彼の機嫌は悪いわけではなかった。 「へぇ……結構片付いてるじゃない」 ファは、グルリと部屋を見渡す仕種をした。片付いているもなにも、元々荷物らしい物などないのだから彼にはとても褒め言葉とは取れなかった。 「そんなこと云いに来たのか?」 もっと別の云いようもあるのに、―かつて『用がなければ来てはいけないのか』とエマに食って掛かったことなどとうに棚上げしている―と一瞬彼の頭をかすめた。が、どうしてか彼はこんな物云いになってしまう。彼女も慣れたもので、差して気にした風はない。 「そうじゃないけどさ…へえ、洗濯なんか自分でするんだ…」 きっかけを探していたファが何気なしに頭上の洗濯物に触れる。 「どうだっていいだろ。…!?」 照れ臭さも手伝って、彼女が手にした下着を奪い取った彼はその感触に一瞬黙り込む。 「何よ、そんなに怒ることないじゃ…」 「ファ…空調いじったのか?」 文句を云いかけたファもカミーユの唐突の問いかけに、気勢を削がれる。 「え、ええ…覗いた時に乾燥しすぎてたみたいだから…」 「よけいなことするなよ!!」 大声で怒鳴りつけ、カミーユは次の瞬間にはファを部屋から追い出してしまっていた。 (な、何なの!? あの態度、何よ、何よっ…!!) いきなり部屋から出されてしまった彼女には、どうしてこうなるのかまったく理由がわからない。廊下をズンズン歩いているファの前方からハロが転がり出てきた。 《ファ…怒ル、良クナイ…》 「うるさいわね、もう知らない!!」 《ハロ〜ッ》 彼女の八つ当たりで蹴り上げられたハロこそいい迷惑であった。 (中途半端に乾くとゴワゴワになるんだよな、変な臭いもするし…チッ、) 悪態をつきながらカミーユは洗濯物を外し始めた。そして彼はもう一回洗うかどうか、かなり真剣に迷っていたのだった。 カミーユには彼なりのこだわりがある。それは端からみたらつまらなく、くだらないことであったとしても。そのこだわり具合や対処の度合いこそが、カミーユという少年を一見気難しく、とっつきにくく見せてしまうのだが…。わかってみればどれも単純な理由ばかり、ということを気付かせぬまま、今日も彼は誤解を振りまいていくのであった。 実のところ彼が、非常に生活感溢れるヒーローであったことは、あまりよく知られていない…。 『月の雫』 収録 /「WASH & WASH」より
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GAME・ 作戦開始後 15’30” ・ ハァ、ハァ、ハァ…… 浅い呼吸は一向に収まらなかった。それどころか静寂の時が長い分だけ不安は高まり、息も、鼓動も早くなっていくようだった。 熱くもないのに汗が一筋、額を伝う。顔だけに止まらず、パイロット・スーツの中も同様に汗だくだ。身体中の水分を全部出しつくしても足らないと思われる程、とめどがなかった。もう口の中がからからで、 ゴクン、 無理に飲み下した生唾、その音が脳天まで響くような気がした。 (………はなから新米の俺なんかが適うわけないんだ、隊長だって…) まともに働かない思考は悪いことばかりを拾い上げる。さっき眼にした光景が脳裏に蘇り、全身が震えた。 沈黙した計器類の中でレーダーだけをひたすらに見つめる。息を殺し、気配を殺し……だが、殺しきれる筈はない。きっと“奴”からは逃れられない。そんな謂れのない恐怖が心を占めていた。 そして、恐れていたことが現実になった。 「……!」 レーダーが捕らえた光点が点滅していた。急速にこちらに接近してくる。 (見つかった…来る、奴が……!) グリップを握る手の震えが止まらない、前方を見据えこれ以上はないほどに大きく見開かれた瞳。 「……ウ、ウァー!!」 緊張に耐えられなくなったレナードはとうとう叫びをあげて、マラサイを発進させてしまった。 まったくの偶然だが彼のその判断は正しく、すぐ後ろで爆発が起こっていた。彼がたった今まで身を隠していた隕石は跡形もなかった。 だが、安堵の息を吐く余裕すらない。回り込んでくる敵、照準が合おうが合うまいがおかまいなしにレナードは残っているミサイルを全て撃ちまくった。 (当たった…!) 爆発が立て続けに起こった、全弾ではなくともかなり命中したのだろうか? 彼は心の中で快哉を叫んだ。 「……!!」 だが、次の瞬間、爆煙から発したビームライフルに彼の操る機体は貫かれていた…。 ・ 作戦開始後 0’35” ・ 《新入り、遅れてるぞ!》 最大ボリュームでヘルメットの中に響いた隊長機の声にレナードは慌てて返事をした。 「はい、すいません」 《貴様はブロク少尉とともに攻撃に当たれ。訓練通りやればいい、わかるな》 『了解』 答えて、彼は改めて気持ちを引き締め直した。 彼がM・Sのパイロットになって、これが初めての本格的な戦闘だった。今までは訓練や後方支援といった任務が主だった。しかし、今度は敵の旗艦攻撃への作戦参加だ。武者震いに似たものをレナードは感じていた。 気を抜くと遅れがちになる機体を修正する。彼の愛機として与えられたマラサイは、実戦さながらの訓練を共にこなしてきた十二分に慣れ親しんだ機体だ。初陣に不安を感じないとは云えないが、今のレナードにとっては実力を試すチャンスへの期待の方がはるかに大きかった。 《そろそろレンジ内に入る、すぐに敵のM・Sが出てくるぞ。散開しろ!》 隊長の号令に、彼は機体を加速させた。 ・ 作戦開始後 5’52” ・ 『くそっ、くそ、くそ!』 レナードは吐き捨てた。当たらない自機の攻撃に彼はただ必死だった。 一度始まった戦闘の渦中ではシミュレーションの成果など何の当てにもならない事を思い知らされる。逃げ回るだけで精一杯な彼が、やっとの事でする反撃も簡単に命中してはくれなかった。 先輩であるブロク少尉の機体ともはぐれてしまった今、彼は自分の判断で闘わなければならなかった。 飛び交う幾筋ものビームが一瞬、宇宙を切り裂き、そのたびに光球を生んでゆく。そんなことを認識出来るようになったの頃には、すでに味方の識別信号は随分と減じてしまっていた。 『みんな、やられちまったのか?』 呆然とする彼の緊張が弛んだその隙をつくように、敵のM・Sが目の前にいた。反応できない……っ! 『うわっ……』 衝撃を覚悟して思わず右腕で頭を被ったレナード。だが前方のスクリーンに映し出されたのはビームに貫かれるリック・ディアスの方だった。 《ビームライフルを効率良く使え》 通信機から飛び込んできた隊長機の声に、彼は深く息 を吐き出した。 『助かりました。隊長……戦況はどうなっておりますか』 『・・・編隊を立て直す。ついてこい』 彼の問いを無視し、隊長機は再度、アーガマを追撃するコースを取った。彼は黙って命令に従った。 《ブロク、そっちは何機いる》 《自分を含めて5機であ……》 レナードにも聞こえていた報告するブロク少尉の通信が唐突に途切れた。その理由は教えてもらわなくてもわかった。 《ブロク、……チッ》 舌打ちする隊長機の前には、まだ味方機が2機先行していた。しかし、 『……!』 それが一つ、二つ、続け様に光に変わっていた。上方向からの電光石火の攻撃に撃破された味方機。そのうちの1機の下半身だけが漂う様は、機械であるとわかっていても無惨な姿に見えた。 『あれは……』 隊長機を高速で掠めた機体を、レナードの瞳はなんとか捕らえた。あれは、アーガマ所属のΖガンダム。しとめれば大金星とささやかれているM・Sだ。 レナードと違って隊長の反撃は素早かった。後方に位置する彼はその闘いの全てを見て取れた。だがその速さに、未熟な彼ではうかつに支援することもかなわない。 隣でバズーカを構えた味方機も接近する2機に狙いをつけられないでいる。 Ζガンダムのビーム・サーベルの一撃を受けとめた隊長機は、そのままミサイルランチャーを叩き込む。2機が離れた瞬間、隣の味方機のバズーカも発射されていた。 爆煙がΖガンダムの姿を隠す、撃破出来ないまでもダメージを与えられた筈だ。そうレナードは確信した。しかし、 閃光が走った。と、予想外の位置にスクリーンは光点を映し出していた。レナードと平行していた味方機が撃破されたのだと、すぐには理解できなかった。 そして、そのビームは煙の中から現れたΖガンダムから発していた。損傷した気配もないどころか、別のM・Sの攻撃をどうして察っしたのか? 腕だけを残した味方機に眼を向けていた一瞬後、隊長機は向かってくるΖガンダムにビームサーベルの一撃を決めた。確かにレナードの眼はΖガンダムに重なる光の筋を捕らえていたのだ。 『やった!』 今度こそ、と思ったレナードが一瞬後に眼にした光景は、Ζガンダムのビームに差し貫かれる隊長機だった。 彼が、おそらく当の隊長までもが貫いたと思ったのは奴のシールドだけであった。隊長機は糸が切れた人形のようにぎこちなく、動きを止めた。 ゆっくりと、まるで生身の人間から刺さった剣を抜くようにΖガンダムはビームサーベルを引き抜いた。 ジ、ジジ………耳障りな音が彼の通信機に混じる。隊長の発する断末魔の叫びが耳朶を打った。 《ば、ばけも……》 それを最後に隊長機は爆発したらしかった。それを確かめなかったのは、すでに彼が機体を反転させてその場から逃走していたからだった。彼が方向を転じる刹那、レナードの心は感じ取ったのだ、Ζガンダムの両眼が獲物を求めて、光るのを…。 戦闘空域から一刻も早く、ここから遠くへ……。敵前逃亡の不名誉も、全て生き残ってからの話だ。このままでは自分は絶対に助からない。助かるわけがなかった。ただ彼はひたすら圧倒的な恐怖を伴って自分を追い詰めるその“死神”から逃げ出したかった。 ミノフスキー粒子を全て使いきり、機体が隠れる十分な大きさの隕石の影にやっと身を隠したレナードはひたすらに祈った。 電源を最小に落とし、息を殺し、奴を行き過ぎさせるために…。 『月の雫』 収録 /「GAME」より(一部抜粋)
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遺された云葉「落ち着いたらアーガマに戻ります、しばらく辛抱して下さい」 普段の彼とは違う、優しい、そして頼りない瞳で口にするカミーユ。けれど、それが気休めであることをエマ自身がわかっていた。 レコアとの戦闘の後に、自分が不用意にコクピットから出てしまった為に負った傷――。爆風でエマの身体は紙切れのように吹き飛ばされた、満身創痍とはまさにこんな有り様をいうのだろうか? 全身が痛み、指一本動かすことさえ難しかった。 (――あたしの命が、消えようとしている…) 恐ろしいことのはずなのに、何故だか彼女の心は穏やかだった。沢山の人の死を見すぎたせいかもしれない…。それとも、こんな戦場で誰かが傍にいてくれる――そのことが安心感を与えているのだろうか? そして、その相手が他ならぬカミーユであることが、何か象徴的なもののようにエマには思えた。 こんな末路を迎える事になった兆しは…多分地球で、アムロ・レイらしい青年に会ったときから芽生えていたのだろう。それが抗えない彼女の運命だったのだろう。 けれど、彼女が漠然と感じていたもの、求めていた場所へ本当に導いたのは――間違いなくカミーユ・ビダン…目の前にいる少年だった。 (宇宙へ出て――あなたに出会って…あたしの運命は動き出したのかもしれないわね。……それでも…) 後悔はしていない――それが戻れない道だったとしても、自分は間違った道は選ばなかった。その信念だけが、いつも彼女を支えてきたから――。 「もういいのよ、カミーユ…」 心配そうに見守っているカミーユの手を握り、エマは柔らかく微笑んだ。 『すみません、エマ中尉、ブライト中佐』 頭上から振ってきた声、ガンダムMk―Uに乗り込んでいるのは彼女からみれば子供といっていいほどの少年だった。 (あの子、あたしの名前を知っていたわ…?) 面識もない少年が、彼女の名を呼び気遣うような発言をした。ただでさえ特異なことだ。まして、自分たちティターンズの候補生でさえまだ完全には乗り越なせていないガンダムMk2の機体を操縦してみせたのだから。初めて見た彼の印象は、鮮烈だった。 次に彼に会ったのは初めてアーガマに行った時、彼女はバスク・オムの卑劣な親書を携えていた――。多くのヤジ馬に紛れて、目の前でMk2を盗んでいった少年はシレッとした様子で彼女の到着を見物していた。その時、彼と瞳があったけれど、特別な感慨はなかった。そう、その時点では――。 その後に続いた、少年に起った悲劇を肯定しないが、彼女は感謝すべきかもしれない。あの一件が彼女にティターンズの実態に疑問を持つきっかけとなったのだから。 『カプセルにヒルダ中尉は乗っていたの!?』 『見ればわかるでしょ。3号機の指を見れば!!』 コクピットの中の少年に、ジェリド・メサのハイザックを制圧してみせた気迫はもうなかった。そこにいたのは、目の前で母親を失い、混乱している哀れな少年。同時にバスクの作戦が真実であったとエマが確信した瞬間だった。この時、、彼女の心は決まった。 『アレキサンドリアから脱出します。ついてくる勇気があって?』 ティターンズを脱走する、と彼女がきめた時、バスクの犠牲になろうとしている父子にも、生きるチャンスを与えた、それだけのことだった。 『あなた達に同情してこれを決行するわけではないんだから』 そう、少年だけでなくフランクリン大尉も伴ったのには、エゥーゴへの手土産…そんな計算が働かなかったいえば嘘になる。 そして、結果的に少年は父親をも失うことなったのだが、そのことに責任を感じるほど彼女は傲慢ではなかった。が、そんな経緯もあって、エマが少年に関わることになっていったのは自然の成りゆきだったろう。 身近に接する少年はとてもアンバランスだった。 『用がないときちゃいけませんか』 甘えようとして、次の瞬間には突っ張ってみせる。大人びた言動を取ることが多いだけに、そのギャップは顕著だった。 『慰めて欲しいのなら無駄よ。あなたとわたしは恋人でもなんでもないのよ』 エマは所在なげに訪ねきた少年を突き放した、今思えば随分と大人げないことを云ったと思う。つい不自由な状態でのうっぷん晴らしをした…実はその程度のことだったのだが…。それから少しの間、少年は彼女に警戒していたようだった。 それからカミーユは少しずつ、戦いに馴染んでいった…否、いかざるえなかった、といった方が正しいのかもしれない。他人の危機を感じ取って戦いに飛び出してゆく、そんなことが何度あっただろうか。それでも軍人にはなりたくないとそんなスタンスを取り続けた身勝手な子供。それが空回りにならなかったのは、――少年が望むと望まないに関わらず――彼にパイロットとしての確かな資質があったからだ。 だから誰もが、彼の脆さを見逃してしまったのだと、今のエマならば…わかる。 総てにおいて、彼は肯定と否定の間を行ったり来たりを繰り返していたのではないか?――彼自身の行動理念は軍人としては失格で、スタンドプレーに走ることも多々あった。その為、彼女は上官として、仲間として、気が付くとたびたび少年にお説教をしていたりした。その関係は、一人っ子の彼女にとってはやっかいな弟が出来たように―もっとも、その数はファ、カツと増えていったので、彼一人に構ってはいられなくなったが―思ったものだ。 ひっぱたいたことも、一度や二度ではないが、そう、一度だけ――修正という大義名分ではなしに、彼女が感情に走ったことがあった。 『殺してしまえば良かったのよ!』 自分の姿を合わせ鏡に映したかのようなレコアの行動に、彼女は取り乱した。その激情を少年にぶつけたが、彼も負けてはいなかった。 『人をパンパン引っぱたく人の云うことですか!?』 挑むように云い返してきた。少年はエマを敬う一方で、逆らってくる…反発する…それは他の大人達にも同じではあるのだけれど…そこに様々な温度差があることを無意識に彼女も感じ取っていた。 一言で云えば少年は、常にではないにしろ、彼女にとって何かしら気に掛かる存在だった。けれどそれは男女の愛とは、違う、と彼女は思う――。 ファがいたから、とか…カミーユの心に住みついている存在を感じ取って……などというのでもない。そんなわかりやすい感情では、なかった。 少年とエマの間にあったものに敢えて名付けるというなら、それは―友愛―、とでも呼ばれるべきものだったのかもしれない。 『カツー…っ!』 『――― ヘンケン艦長!』 戦いの中で次々と彼女の前で失われてゆく命に、エマは泣いた。 特に身を挺して自分を守ってくれた男性の最期に、泣き叫んだ――。ヘンケンがエマに好意を持っていた、それは確かだ…そしてそれに彼女が明確に答えなかったことも、また確かだった。 愛を失ったのでもない、恋を失ったのでもない――だが、自分に好意を示し続けてくれた人の死によって、エマの張り詰めていたものは――大きく揺らいでいた。 『エマ中尉…!』 だからこの時の彼女には駆け付けてきてくれた少年の云葉も、ほとんど耳に入っていなかった。心を半分飛ばしてしまったかのようなエマ。だが、その時、 『――そうでなければこんな宇宙、…息苦しくって―――』 カミーユが彼女の目の前でバイザーを開けて―― 『……!? カミーユ、今あなたっ…』 素肌をさらした彼の声が真空の宇宙に吸い込まれ切る前に咄嗟にエマはバイザーを戻した。皮肉にも、彼のこの異常な行動が―彼女に恐怖を与え―正気に戻すこととなった。 しかしそれさえも全て、決まっていたことなのかもしれない。この後に用意されていたレコアとの戦いにエマが赴く為に。 敵から味方へ、味方から敵へ。エマが自分の心に正直であろうとしたように、レコアもまた…。 運命は二人に違う道を選ばせた。生き方の違ってしまった、女としての道を選んだレコアに、彼女も、女として挑んだ。 その結果は―― 『わかってよ、エマ中尉!』 レコアの叫びは宇宙に四散した。エマはレコアに勝利したのだ…だからといって、それが彼女の正しさの証明にはならない。何故なら、この戦いに初めから勝者はいなかった。その虚しい戦いの中でのただ一つの真実は、それが彼女達にとって最期の戦いだった、ということだけ。 そして――今、 『よく、見つけてくれて――』 傷付き、宇宙に魂を還そうとしているエマの終焉に、少年の手が差し伸べられたのだ―― 「戦いを終わらせる…あなたがやるのよ…カミーユ・ビダン」 エマの手を必死に握りしめ、支えているカミーユ。こんなに近くにいるのに…目がかすんで、その姿はぼやけ始めていた。 「わかりました、エマ中尉…」 上擦った彼の声から、握り返す手の力の強さから、全身から――哀しみが伝わってくる。 多くの仲間の、敵の死を見てきたのだろうその瞳に、エマもまた刻み込まれようとしている。彼にとっては彼女と同等の存在であったかもしれないレコアの死を受け入れる間もなく――追い討ちをかけるようにエマをも失うことが、辛いのかもしれない。でも、宇宙に同化しようとしいる彼女は知っている…彼を取り巻く人々の想いを。 (どうしてそんなに心細いの?…沢山の人が、あなたを守ろうとしてるのに…) けれどエマには多くを語る時間がない。だから、カミーユを安心させるように微笑むだけ…そして、 「あなたは一人じゃない、――寂しがることはなくてよ…」 それが、――生者としての彼女が――少年に遺して上げられる最後の云葉だった。 「エマ中尉――。カミーユ・ビダン、行きます!」 泣き笑いの表情で決意を秘めた少年の声を聞く女性は、もういない――。 『月の雫』 収録 /「遺された云葉」より
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