弱き者、汝の名は女


 活気のない街並。時代に忘れ去れらたようなこんな田舎は、戦争が始まる前も後も大した変わりもありそうになかった。
 ファ・ユイリィは急ぎ足で家路へ向かう途中であった。最近歩き回れる程度には元気になったカミーユに、あれもこれもと欲張っているうちに随分と時間を費やしてしまった。
 いつもとは違うその道を通ったのは単に近道をしようと思ったにすぎなかった。急いでいるはずなのに、それはやけにはっきりと彼女の眼に飛び込んできた。
「あら………」
 ジャンク屋というより、雑貨屋といった趣きの店先でファは立ち止まった。
(―――レコアさん)
 不意にその名が浮かんだ理由はすぐにわかった。無造作に並べてあるケースの中の古びた書物の群れ。その中の一つの著者名が彼女の記憶を呼び起こしたのだ。

『弱き者、汝の名は女……』
『なんですか、それ』
 レコアが独り言のように呟いたのをファは軽い気持ちで訊いたことがあった。
『古典文学よ。知らない?確か、シェークスピア……だったかしら』
『その人なら授業で習ったことあります。でも、台詞まで覚えているなんてお好きなんですね』
『そうでもないわ、一度読んだだけだし、筋だってうろ覚え』
 レコアはファの感嘆をくすぐったそうに否定したが、テープやビデオではなく、本を読んだということに彼女のこだわりの強さが窺えた。
『――どうしてそれを?』
 物思いに耽るレコアに少なからず興味を覚えてファは疑問を口にした。
『女を馬鹿にしてると思わない。いかにも男の、一方的な意見に反発したのね、きっと』
『え―――よく、わかりません……』
 そんな物云いはレコアよりむしろエマ・シーンが云いそうでファは面喰らって口ごもった。
『そうね、ファには、わからなくていいことよ』
『……クワトロ大尉と何か――』
 彼女の問いに、すっと一瞬のうちに表情を強張らせたレコアは別のことを云った。
『あたしは逆の意味だと思ったわ。だからいつも頭の中で置き換えてた。――お呪いみたいなものかしら……』
 少し頬を弛める彼女のそれは微笑みというには淋しすぎた。

 それからほどなくレコアはアーガマから姿を消し、ティターンズの兵士になって現われた。そのことによってカミーユは苦しみ、クルーの間にも動揺があった。しかし、立場こそ敵であったけれど、ファには彼女が敵とは思えなかった。きっと、レコアにとっても敵としたのはただ一人の男だったから。


「―――すいません」
 ファは店の中に声をかけた。



「ただいま」
 ファは黄昏時になっても灯りの点いていない部屋に入った。
 彼女が家を出る時と変わらない姿勢で窓辺に座っているカミーユの姿に安堵の息をつく。
「今日はお給料が入ったからいろいろ買ってきたの」
 答えのないことは承知しているが話しかけずにはいられない。食事の用意をしながらあれこれと一日の事を報告する。それが彼女の日課だった。
 そして、落ち着いてファがその本を手にしたのは外がすっかり闇に包まれた頃だった。


 店内には品の良さそうな老人が一人きり。随分と学があるらしくすぐにファが望む物を探してくれた。何しろ彼女にわかっていたのは作者とうろ覚えの台詞だけだったのだから。
『珍しいね、そんな探し方。それに、あれにはもっと有名な台詞があるだろう』
『そうなんですか』
 ファは曖昧に答えた。代金を払って渡された本の題名は【ハムレット】と読めた。

 物語は典型的な悲劇。レコアが口にしたのは主人公のもので、父を毒殺して王位についた叔父と不義の関係を結ぶ王妃・母を詰る場面で云われる台詞だ。
 ハムレット自身が思索的な性格で父の亡霊に悩み、恋人も捨て――苦悩の末に果たした復讐、そして死………。
 店主の云った台詞もすぐに見当がついた。授業で教師が触れたのも多分こちらの方だったろう。
 『生きるべきか、死すべきか、それが問題だ』
(まるでクワトロ大尉みたい……)
 なんとなくファはほくそ笑む。そんな大仰な台詞が不思議と似合う人だった。
 レコアのことを思い出して読み始めて……奇妙な符号と思い、納得する。彼女も同じことを感じたのではないか。それがあの時の『女を馬鹿にしている――』ということなのだろう。

「星が流れた」
 不意の声にドキリとする、それも一瞬のこと。
 それが先ほどから微動だもせずに外を見ているカミーユのものだとはすぐにわからなかった。今のは幻聴ではないかと思えるほど彼には変化もない。
 時折カミーユはまともそうな反応を見せることがある。初めのうちこそ驚き、喜びもしたが、そんな状態は長くは続かない。
 やがてそれが狂人によくある症状だと知った。

 それでもカミーユの症状は快方へ向かっているのだろうとは感じる。日がな一日、トロトロと眠りこんでいた彼がこうして起き上がり、歩き――そして今は空を――宇宙を視ている。
 戦争は終りに近いと噂する人々より確かに、カミーユはその行方を知っているのかもしれない。
 ジュドー達との思いがけない出会いが彼のほつれた精神の糸を解き、覚醒を促したのか……。
 ファは深く息を吐いた。すべてが、終ろうとしている。
 病人を抱え地球に降りて、――楽ではなかったけれど、苦労だけだったわけでもない。二人だけの平穏な日々。
 カミーユがその心を取り戻すとき、それは案外早くやってくるのかもしれない。彼女はその日を待っているのか、怖れているのか……。

 ファは本を閉じてカミーユの背に頬を寄せた。昔、彼がまだ心を失う前は置いて行かれそうだといつも感じていた。
 今、立ち止まった彼をようやっと手にして、そしてまた……。

「もう少し、ここにいてね」
 ふと洩れた彼女の本音。でも、今だけのこと――。本当は自分は強い、カミーユを守れるほどに。
 レコアは愛するより、愛されたかった。
(あたしは、違う――)
 漠然とした想い、きっと前から知っていた。

 そうしてファは呟いてみる、レコアがしていたように。
「――強き者、汝の名は……女」


Fin
(1992.12 脱稿分を改訂)

後書き

TV本編以後(ZZ頃?)、地球に降りてきたカミーユとファ…というか、この時期はほとんどファ視点での物語ばかりになります。
ファの回想の中で紡ぎ出される誰か…という手法は懲りずに今でも書いております。レコアさんは特に興味深い女性で、ファとの関わりは結構書いている。エマとレコアの狭間にいるようにファですが、気持ちレコア寄り…と私は解釈しています。
ファの【したたか】(と、変換しようとしたら、1 強か、2 健か と出て来た。どっちもファには合ってると思う!)な強さがとても好きなのです。
これはタイトル先行型。「このお題で一本」って…何故そう思ったのかは謎――と、結ぼうとしたら急に思い出しました。阿刀田高氏のエッセイで読んで使いたくなったんだった。人の記憶と発想って不思議(@_@)。

 鈴蘭