見知らぬ友




IV




「――というわけなのよ」
 妙に華やいだジェニファの声。
 休憩を取りにきた俺がエレベーターを降りたところで、眼に飛び込んできたのは連れだって歩くシリーとジェニファの姿だった。
 咄嗟に身を隠した俺だが、よく考えてみればそんな必要はまったくなかったのだ。
(……なんだ)
 様子を窺っていた俺は拍子抜けした。シリーのあの大荷物、人使いの荒いジェニファに荷物持ちをさせられてるだけだ。
 だとすると飛び出すタイミングを失ったこの状態では体裁が悪い。見つからないうちに消えようかと俺が思っていると……。
 辺りを窺う仕草をジェニファがして、シリーの腕に自分の手を絡めて内緒話を始めやがった。
 俺に背を向けた彼女の後ろ姿からでも、奴に何かを訴えているのがわかる。おいおい、何話してるんだ、お前等!
 俺の位置から垣間見えるのはジェニファの肩越しのシリーの表情だけだが、最初はどうという事もないように聞いていた奴が不意に顔を綻ばせ、頷いた。そして彼女の耳に何事かを囁く。
(あのヤロー……!)
 俺は心底腹を立てたね、男の約束はどうしたんだい?
 そんな俺の気持ちを余所に、二人は話がついたのかまた歩き出した。けど、この先にあるのは……。こうなりゃ見届けなけりゃ俺の気が納まらない。俺は出歯亀みたいに奴等の後をついていった。



「ほんとに寄っていかないの? お茶ぐらいごちそうするわ」
 ジェニファは思った通り自分の部屋の前で、甘えた声で申し出た。俺に誘いをかけてくれたことだって、数える程しかないくせに。
「遠慮しとく、ラルフに怒られるから」
 シリーが応える。よしよし、よくわかってるじゃないか。
「――友情に厚いのネ。……それじゃあ、ありがとう」
 クスッと微笑んだ彼女は預けた荷物を受け取るべく手を差し出した。
「ジェニ――っ」
 奴が慌てた声を上げたのは、受け取る間際に彼女が頬にキスしたからだった!
「ここまで運んでくれたお礼よ」
 声を立てて笑う彼女はシリーにウインクを残して扉の向こうに消えた。奴は参った、というように苦笑いで頬を拭った。そして、振り返る。

「……ただの挨拶なんだよ」
 という呟きは俺へだ。隠れているのなんかとっくに見透かしていたことを奴は教え、俺も自棄気味に文句をぶちまけた。
「お前な、ちょっかい出すなってのは向こうが誘ってきても乗るなってことだぞ」
「乗ってないよ」
 見てただろ、というように向ける眼には何の意図もなく、こいつが眼光だけでグスタトを黙らせたとは到底見えやしない。
 普段の奴はそんな様子は全然感じさせないし、俺もグスタトも――狐にでもつままれたのかね。

「――すげェー、やな奴」
 ブスっとして俺は呟いた。あれが錯覚だと思い始めているからこそ、こんな命知らずなことも平気で云える。
「それはありがとう」
 奴は一向に堪えない。こういうとこもシリーの変なとこだ。俺だったら面と向かって云われたら気分悪いが、奴は却って楽しそうに見える。
「ともかく、ジェニファに恋人いるってビシッと言えよ」
「別に恋人ってわけじゃない」
 奴は平然とそんなことを云う。ジェニファを俺と張り合おうって宣言かと思えばそうじゃない。
「先のことはわからないし、でも帰るって約束したから」
「――バッカヤロー! それを恋人って言うんだよ!!」
 俺は奴のトンチンカンな答えを怒鳴りつけた。『待たせてる』っていうのはそういう意味だろ、あの云い方なら誰だってそう思う。しかもあんなに優しい顔でなら、ノロケているのと同じだ。
「そうかな……?」
 しかし奴はまだ納得いかなそうに首を傾げている。こいつはとんでもない恋愛音痴じゃないか?
「………もういい、とにかくジェニファには……」
「彼女が親切にしてくれる理由を僕は知ってるけど、それは君が考えてることとは違うよ」
 睨み付けている俺の云葉を遮って、奴は意味有りげなことを云った。こいつ、恋愛音痴のくせに!
「――約束は守るよ」
 手を挙げて宣誓の真似ごとをしてみせた奴は、秘密めいた笑みで俺の横をすり抜けた。
「なぁ、お前を待ってるのって、ちゃんと女なのか」
 俺としては決して茶化すつもりはなかったと言明しておこう。素朴な疑問だったんだ、単なる(あんまり奴が恋人じゃないと強調するから)。
「――――自慢じゃないけど」
 立ち止まった奴は首を巡らせて凄く嫌そうに、云った。
「僕は筋金入りの女好きなんだってさ」
 だってさ…ってことは誰かに云われたのか? 俺は大いに頷いた。それは自慢じゃないな、確かに。と同時に好奇心が沸き上がる。
「じゃあ何人ぐらい知ってるんだ。一年間で抱き合った女とかどれぐらいいるんだ」
 悪乗りして訊ねる俺に、奴は顎に顎に手を当てて生真面目に考える仕草をした。そして、
「ケースバイケースだけど、――6人」
 あっさりと奴は応えやがった!
「―――っ!?」
 俺は口をパクパクと開け、次には背を向けていた。シリーがどうした? とか何だか云っているが、絶対耳を傾けるものか。
 恋愛音痴どころか、こいつはとんでもないプレイボーイだ。こんな奴が戦士でなんかあるものか! あれはやっぱり俺の気の迷いだ。そうに決まってる!





 そして、俺の興味をいたく引いていたシリーの彼女の顔を拝む機会は意外に早くやってきた。


「お出かけか?」
 部屋から出てきた奴と鉢合わせた俺は陽気に声をかけた。
「ちょっと……取りに行くものがあるから」
 戸惑ったように奴は応えた。押し戻そうとする動きに逆らって俺が入ろうとしたからだ。
「ああ、行ってこいよ。その間留守番しててやるぜ」
「―――――――」
 奴は出ていって欲しそうな顔をしていたが、俺が知らぬ振りをしているとふてくされたガキみたいな顔で、すぐ戻ると呟き出ていった。
 これだこれ、こいつには強引に出てりゃいいんだ。ジェニファとのやりとりを見てりゃ、押しの強さに弱いんだって(それも特に女の)わかるぜ。
 奴が出て行くと俺は探し物を見つけるべく辺りを漁った。予測に反して、それは簡単に見つかった。ポンと何気なく机の上にあったからだ。


(ヘェー、可愛い――)
 思わず俺は口笛を吹いた。シリー宛のメールの中で微笑んでいる少女。それが俺の探していたものだ。

 『はい、いつもの定期便』
 ジェニファが俺の前で振ってみせたのは家族からのメールだ。彼女の方から訪ねてきたと思ったら単なる配達だったわけだ。
 『おっ、サンキュー』
 『どういたしまして』
 こういう時のジェニファは愛想がいい。彼女も家族から貰うメールには心が躍るからだろう。
 『シリーにもきてるか?』
 受け取った俺は訊いてみる。奴の任期の短さからいってその可能性はあまりないと、期待せずに軽い気持ちで。
 『きてたわ、女の人から。恋人じゃない』
 『……あ、そう』
 あっさり応えたジェニファは特に何の反応も見せない。
 『何?』
 彼女は挑戦的な瞳で俺を斜に睨む。
 『いいえ、何でもございません』
 下手なことを云わずにその場を済ませた俺は、絶対そのメールを見てやらなけりゃ、と心に決めた。


 写真の中の彼女は黒髪の、瞳は青いが東洋系らしい。
 キレイともいえるがわずかに可愛いが勝る。切れ長の眼がちょっぴり気が強そうだ。(ジェニファとは全然違うタイプだが)はっきり云って好みだった。
 しばらくそれを透かし見る(そんなことしてたってしょうがないが)。
 こうして顔は確かめたが、つい内容も見たくなるってのが人情だ。(一応これ以上プライバシーは侵害したくなくて)最初は消していた音声を俺はつい出来心でオンにした……。



 最初は壊れてるのかと思った。それぐらい無音の時間が長かったんだ。

《……元気?――ちゃんと食事はしてる?……ヤダ、もうこれ3回目なのに、何つまんないこと言ってるのかしら》

 明るい、それでいて不安を隠しているような少女の声が流れてくる。ジッと聞き入っていた俺はなんていうか――感動した。
 たったこれだけで相手の娘がどんなに奴を想っているか、伝わってくる。

《あたしは……で待ってます。そこで病院の手伝いとか、してます。みんな良い人で元気にやってます。だからカミーユも……》

 シュンとドアの開く音に俺は慌てて止めたが、もちろん間に合わなかった。
「悪趣味だ」
 二コリともせずに、シリーはゆっくり歩いてくると俺の脇からメールを取りだした。
「シリー、こいつはちょっとした……」
 愛想笑いで迎える俺に奴は他人を見るような(そりゃ元々他人だが、それには好意の欠片もなかった)眼で云った。
「出ていってくれ」
 それは低く、穏やかだったが従わざる得ない迫力があった。俺には弁解の余地もない。
「悪気はなかったんだ、」
「ああ、好奇心があっただけだ」
 俺を代弁した奴の冷たい声が、シリーが俺に多少なりとも示してくれていた親しさを全て失ったことを告げた。
 まったく驚いたことに俺はショックを受けていた、このわけのわからない奴に本気で拒絶されたことに。
「出ていけよ。――聞こえないのか」
 奴は冷めた声で告げ、俺に背を向けた。その背中はきっともう振り返らない。


 それで俺は、その通りにした。





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